1956年(昭和31年)5月9日の日ソ漁業交渉において当時農相だった祖父一郎は戦後ソ連との領土交渉にあたった。国交もない、日ソ中立条約を破って北方四島、樺太も獲ってしまったその敵国に乗り込んで交渉した。結果的に河野一郎は日本を裏切った。随行していた外務省の参事官を室外に追い出して一人で北方四島をソ連に進呈しますという約束をしてしまい、北方領土問題を作ってしまった。帰国後の1963年7月15日。行動右翼の野村秋介と松野卓夫らによって屋敷を焼き討ちされている
父親の洋平は自民党総裁に上り詰めたが当時自民党は野党だっために総理には成れなかった。洋平は韓国に対して慰安婦問題を認めてしまったが為に今に続く慰安婦像をはじめとした反日問題の原因を作り上げてしまった
又外相時代のエピソードとして
「一九九五年、アセアン外相会議に出席するためタイのバンコクへ向かう途中、台風に遭ったために急遽桃園空港(台北国際空港)に着陸した。そしてバンコクに到着すると、私は台湾の土地に一歩も足を踏み入れなかったと中国の銭其琛外相に話した」
「二〇〇一年、李登輝前総統が病気治療のため日本を訪問しようとすると、彼は中国政府の意向を考慮し、それに極力反対した。そのとき李登輝は、日本政府の肝っ玉は鼠より小さいと言った」
そして孫の太郎はワクチン担当大臣として自国民の人口削減計画を忠実に実行中です。ファイザー製薬の厚労省報告書にはワクチンを接種すると多くが卵巣に行き着くと書いてあるのに女が不妊になることはありませんと平気で嘘を突かねばならない立場にあるのです。「学生時代にポーランドで逮捕された前歴あり」
本人たちがどのような意思で政治を行ったとしても結果として3代の血脈が日本に災厄をもたらしているのです